<ポーランド編>
今回のポーランド・ドイツの旅はかねてより計画しながらも二国へ同時に訪問することは中々難しく何度となく計画倒れになり、やっと実現しただけに出発する前から心が高鳴っていた。
ポーランドの歴史は、波瀾にみちており、他の国の人たちにとって想像を絶するものがあった。異民族の侵攻とそれに対する抵抗によって歴史が作られている。特に1944年から5年間に渡ってナチス占領下で圧政に耐え続けた国民の屈辱はいかばかりであったかを想像すると感無量である。戦争によって徹底的に破壊されながらも国民の不屈の精神によって復興を果たし、今や昔の美しく緑で自然に溢れた魅力ある国に再興していたのには驚かされた。
<第1日目>
8月7日、成田空港を出発してワルシャワのフレデリック・ショパン国際空港に18:50に到着した。その時、空港で働く人や飛行機を待つ乗客がみんなカメラで我々の飛行機を移していた。何故だろうと乗務員に聞くと、「ここ近年、ジャンボ機が到着がしたことがないのではないか!?」ということであった。
<第2日目>
朝8時にホテルを出発して最初の見学地ジェラゾヴァ・ヴォラにある「ショパンの生家」と「博物館」を訪れた。しかし、到着20分前から体の調子がおかしくバスの中でで嘔吐してしまった。旅行前に多忙すぎて疲労が溜まっていたからである。そのため、殆ど見学できずバスで休んでいた。
次に13km離れたブロフフに向かった。ここでは旧市街とショパンが洗礼を受けた聖ロフ教会を見学して、約2時間かけてワルシャワに戻り市内を観光した。 「ショパン博物館」、「聖十字架教会」、「聖ヤン大聖堂」、「旧王宮」、「バルバカン砦」、「ワジェンキ公園」とワルシャワの代表するスポットを見学した。この街は16世紀末に首都をクラクフから遷都されて以来古い建築物がそのまま残っていたが、第2次世界大戦で徹底的に破壊された。それを市民の復興への情熱で見事に復元した。それもレンガのひとつや壁の割れ目まで再現し、見事に蘇らせた。あたかも昔からあった建物に思えるのが不思議である。広場の中央に剣を振りかざした「人魚像」がこの国の象徴するかのように建っていた。
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