それも私の目の前で事が起こり慌ててガイドさんを探した。幸い大事には至らなかったので、そのまま我々と一緒に旅行を続けることが出来た。この日の夕食はテスティ・ケバブ(壷焼き料理)で、地元のレストランで味わった。
(第5日目)
この朝も5時半に起きて、バスで230km離れたコンヤに向かった。途中キャラバンサライ(隊商宿跡)に立ち寄って、ようやくコンヤに到着した。コンヤは西アナトリアの内陸平原にありセルジック時代、王都として繁栄した。コンヤと言えばメヴラーナ博物館とインジェ・ミナーレ博物館が有名で特にメヴラーナ博物館はセマ(旋舞の儀式)で知られるイスラム神秘主義のメヴレヴィ教団が創設した博物館である。ここの儀式は笛と太鼓の単調な音楽に合わせ緩やかに舞うもので踊り手は忘我(癒し)の状態で神の世界に入る。白い装束をまとい華麗な踊りが神による再生を意味するようだ。もう一つの博物館は華麗な前門、落雷で倒れたミナーレで有名な神学校である。昼食はキャラバンサライを改装した教会レストランで頂いた。その後バスでコンヤから440kmのところに位置する世界遺産で綿の城と呼ばれる世界屈指の奇観・パムッカレに向かった。
(第6日目)
毎朝、5時30分起きを続けていると、疲れていても自然に目が覚めるようになってくるのは不思議なものだ。この日はホテルを7時ごろ出発して古代からあるリソート地「綿の城」を訪れた。ここは丘陵を流れる石灰を含んだ温泉水が、長い年月をかけて真っ白な石灰棚を造りそれが雪が積もったように見られことから訪れる湯治客や観光客から「綿の城」と呼ばれている。最近は温泉量の不足のためか温泉を区切ってを流していて、丘陵全体に流さないためテレビやガイドブックで観られるような状態ではなく、期待していたのと異なりがっかりさせられた。しかし足湯につかることは今でもできたが、これも思ったよりぬるく温かいところを探して浸かった。次にここから275km離れたトルコ第三の都市イズミールにバスで向かった。途中エフェソス遺跡観光をした。この遺跡はヘレニズム文化を育み謳歌した人たちの歴史が眠るといわれ、華麗な形状を残すケルスス図書館、古代の見事なレリーフで飾られたアーチを残すハドリアヌス神殿、2万400人を収容したといわれる大劇場、通りが大理石で造られたマーブルロード、図書館に一直線に伸びるクレテス通りなど、どこを見ても古代世界で繁栄を誇った都市であったかが理解できる。この遺跡に入場して驚いたのは一頭の野犬である。ガイドさんや我々が見学場所に行こうとすると必ず先頭に立って道順を教えてくれ、説明の時は横でじっと坐り、終わると次の所まで案内してくれるのには感心した。ガイドさんに聞くとここにいる野犬はそれぞれ持ち場があって、ガイドさんを選びその人につくらしい。なぜなら餌をくれるからである。遺跡のあとエフェソス博物館に行った。ここにはかつての栄華を物語る貴重な出土品が多く、その中でも「アルテミス像」、「イルカに乗ったエロス」ソクラテスの頭部などが展示されていた。
午後から「聖母マリアの家」がある所で有名なビュルビュル山に行った。ここはキリスト教の12使徒の一人である聖ヨハネといっしょにこの地に移り住みアナトリアでの布教活動の拠点としたところである。数年前、アメリカ民主党の大統領候補を争っているヒラリー候補がこの地を訪れた時、聖母マリアにちなんで同じ聖母マリア像を山のとおりに建てさせた。ただここでお笑いなのは実像のマリア像より一回り大きい聖母マリア像を寄贈して、それが地元民に不愉快な気分を起こさせたという。まさにヒラリー女史の性格を表すエピソードである。見学の後イズミールのホテルに戻った。
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